2014年 05月 24日
主文 大飯原発3、4号機を運転してはならない |
原発の稼動は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ(福井地裁判決)
今週の水曜日、5月21日に原発の再稼動審査に大きな影響を与える動きが酔っ払いが住む福井県であった。
一昨年の7月に、日本中の反対を無視して、時の野田内閣の細野なんとか相か枝野なんとか相のどちらかが、県庁前で再稼動反対を訴える市民を無視して、裏口から県庁に入り、こともあろうか大臣が一地方自治体の長でしかない西川福井県知事に頭を下げて大飯原発3、4号機の再稼動をお願いしたのは忘れることができない。このことによって、福井県は福島原発事故以降、全国でただ1県、原発を動かした県になってしまったのだ。みんな知っていることであるが、西川知事はけして原発の再稼動に反対であったわけではなく、むしろ動かしたくて動かしたくて仕方がなかったのだが、大飯原発の再稼動を北陸新幹線敦賀延伸の取引にしたくて、しかも自らの支持母体である自民党ではなく、民主党政権であったことで形だけゴネたのだ。そして、今日、北陸新幹線は敦賀までの延伸が決まっている。
その大飯原発3、4号機の運転指し止めを求める裁判が昨年提訴され、5月21日に福井地裁で判決が出された。その判決は、大飯原発3、4号機の運転を差し止める、原告側前面勝訴の判決であった。原発から250Km圏内の住民のすべてに人格権が侵害される具体的な危険性があると認めた結論や、700ガルを超える地震は起こらないとする関西電力の主張を否定するなど、原告の主張をほとんど認めた判決であったが、なによりすごいのは、「原発の稼動は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ」と、原発の存在、経済界が主張する経済性などよりも、『人権』を上に置いたことだ。考えてみれば当たり前のことであるが、これまでほぼ住民側が負け続けてきた原発裁判では、裁判所は『人権』を下におき続けてきた。これは画期的な判決だと酔っ払ったのは酔っ払いだけではないだろう。
日本の裁判所は、地裁よりも高裁、高裁よりも最高裁と、上に行くほど行政と癒着をしていると言われている。おそらく、この福井地裁の判決も高裁か最高裁のどちらかで否定されてしまうのだろうが、たとえ地裁であってもこのような素晴らしい判決がだされたことは歴史的な酔っ払い方だ。
福井新聞
今週の水曜日、5月21日に原発の再稼動審査に大きな影響を与える動きが酔っ払いが住む福井県であった。
一昨年の7月に、日本中の反対を無視して、時の野田内閣の細野なんとか相か枝野なんとか相のどちらかが、県庁前で再稼動反対を訴える市民を無視して、裏口から県庁に入り、こともあろうか大臣が一地方自治体の長でしかない西川福井県知事に頭を下げて大飯原発3、4号機の再稼動をお願いしたのは忘れることができない。このことによって、福井県は福島原発事故以降、全国でただ1県、原発を動かした県になってしまったのだ。みんな知っていることであるが、西川知事はけして原発の再稼動に反対であったわけではなく、むしろ動かしたくて動かしたくて仕方がなかったのだが、大飯原発の再稼動を北陸新幹線敦賀延伸の取引にしたくて、しかも自らの支持母体である自民党ではなく、民主党政権であったことで形だけゴネたのだ。そして、今日、北陸新幹線は敦賀までの延伸が決まっている。
その大飯原発3、4号機の運転指し止めを求める裁判が昨年提訴され、5月21日に福井地裁で判決が出された。その判決は、大飯原発3、4号機の運転を差し止める、原告側前面勝訴の判決であった。原発から250Km圏内の住民のすべてに人格権が侵害される具体的な危険性があると認めた結論や、700ガルを超える地震は起こらないとする関西電力の主張を否定するなど、原告の主張をほとんど認めた判決であったが、なによりすごいのは、「原発の稼動は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ」と、原発の存在、経済界が主張する経済性などよりも、『人権』を上に置いたことだ。考えてみれば当たり前のことであるが、これまでほぼ住民側が負け続けてきた原発裁判では、裁判所は『人権』を下におき続けてきた。これは画期的な判決だと酔っ払ったのは酔っ払いだけではないだろう。
日本の裁判所は、地裁よりも高裁、高裁よりも最高裁と、上に行くほど行政と癒着をしていると言われている。おそらく、この福井地裁の判決も高裁か最高裁のどちらかで否定されてしまうのだろうが、たとえ地裁であってもこのような素晴らしい判決がだされたことは歴史的な酔っ払い方だ。
福井新聞
by nskr32000
| 2014-05-24 20:25
| 福井の風景